旅、ときどきネコ

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個人旅行、一人旅大好き。デジタル一眼レフによる旅先の思い出を中心に時々ネコの写真です。09年11月から半年間はドイツ滞在記をupしていました。

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一瞬もひとときも永遠に

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印象に残った風景1。クリスマスマーケットの賑わい。お父さんが幼い我が子を肩車している様子が微笑ましかったです。

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印象に残った風景2。路上の音楽家。バンドネオンの哀愁ある響きが冬のヨーロッパのぴんとした空気に漂っていました。

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印象に残った風景3。これはドイツではなくロンドンです。観光客にわらわらと囲まれても凛と背筋を伸ばしたままの兵隊さん。Blues and Royalsという騎兵連隊の方です。イギリス王室のハリー王子もこの連隊に所属です。

最後の数週間は仕事がたてこんでいたり悲しいことがあったりいろいろあったため更新ペースが落ちましたが、ここ半年間ブログのアップを続けました。ときにはワードだったりメモ帳だったり、媒体がいろいろだったので正確にはわかりませんが、文庫本一冊くらいの文字数になっているかもしれません。我ながらよく書きました。

出張中はブログをしようと思った理由。さすがに一人で長期海外出張は寂しいと思われるのでブログを通して誰かとつながっていたいとか、一度ブログというものを経験してみたいとか、いろいろありますが、一番の理由は大人になってから初めての海外生活という貴重な体験を形にして残しておきたかった、というものかもしれません。


自分の子ども時代、学生時代、社会人になってから…振り返ってみると記憶って結構曖昧です。今のこの思いはきっと忘れないだろうと、その瞬間瞬間には思っていても、気がつくと日常に紛れて記憶の片隅に埋もれて、いつしか消えてしまいました。

小学生の頃、母が昔の同級生の名前を一部しか覚えていないと言うのを聞きました。え?わたし今クラスの32人全員フルネームで言えるのにどうしてそんな当たり前のこと忘れちゃうの?と思ったことがあります。しかし今となっては、仲のよかった友人と一部の同級生以外、顔も名前も覚えていません。母のセリフに驚き疑問に感じた瞬間は覚えているものの、どういった経緯でその会話に辿り着いたかはわかりません。
10年生だった15のとき、宿題に提出した作文の出来がよすぎたのか英語の先生に自分で書いたものではないのではと怪しまれたことがあります。先生に疑われたことに傷つき、帰宅してから大泣きしました。ひょっとしたら、ショックに思わず学校で涙ぐんでしまったのかもしれません。そのときどんなに悲しかったかは心に刻まれていますが、作文の課題がどういうものだったのか、先生の名前は、何時限目に英語のクラスはあったのか、詳しいことは忘却の彼方です。先生の顔や声、教室の様子などは覚えているのにです。
覚えているのは驚いたことやショックだったことに限りません。たとえば、小学3年生のときには赤いノートを使っていたこと。中学生のとき、学食代わりに注文していたパンが四種類あって、340円と220円と値段が二段階あったこと。大学の昼休みに本を読んでいたときのセミの鳴き声。インパクトのあることだけではなく、こういったとりとめもない出来事が記憶に残っていたりします。

その一方、消えていってしまったものもたくさんあります。いえ、むしろいつの間にか消えていってしまったものが大半です。
20年以上前に家族でキューケンホフにチューリップを見に行ったとき、どう思ったのか。転校の多かった子ども時代、各学校初日をどんな気持ちで迎えたのか。高校のとき、毎日どんな朝食を食べていたのか。大学生になって初めて携帯電話を持ったときにどう思ったのか。
当たり前すぎて気にもとめなかったこともあるでしょう。深く感じ入ったときもあったでしょう。なのに、ごく一部を除きほとんどが時に流されて見えなくなってしまいました。
辛い記憶を敢えて意識の底に追いやり忘れようとすることもありますが、反対に何を覚えておくかは自分でコントロールできないように思います。


今回ドイツ出張に行くことになったときに思いました。外国で異文化に触れて何も感じないわけはありません。その驚きや感動をどうにかして留めておきたいと。
最初は写真プラス数行の予定でしたが、そのうちにどちらが主で従なのかわからなくなってきました。一旦書き出すと思いのほか文章がすらすら思い浮かぶことと、わたしの今の腕だと写真に想い出を全て託すことは出来ないことに気づいたからです。この文章にはどの写真をつけようか、反対にこの写真のためにどんな文章を書こうかなど、意外と楽しかったです。写真は一瞬を留めることが出来ますが、文章は一時間でも一日でも留めることが出来ます。お互い補完関係にあるようで、わたしには写真と文章両方というスタイルが心地よかったです。

ブログとして公開せずに自分のコンピューターに日記を残すという手もあったはずです。でもブログを始めてよかった。もし読者がいなければ三日坊主になっていたと断言できます。
ブログを見てくださった方、特にコメントをくださった方、どうもありがとうございました。更新を待ってくれている誰かがいるかもしれないと思ったからこそ、頑張れました。エキサイトブログだと一日何人訪問者があるかと検索キーワードの上位くらいしか、ブログを見ている方のことがわかりません。コメントがあると、数字だけじゃなくて本当に見ている方があるんだと張り合いになりました。

出張は正直なところ薔薇色だけではなく、仕事が上手くいかなくて落ち込み自己嫌悪に陥ることもしばしでした。忙しいときは平気でしたが、ふとした瞬間、寂しさが押し寄せてくるときもありました。でも、ブログには楽しい話や笑える話ばかりをアップし続けることで前向きな気持ちになれました。週末の旅行、日常で気づいた小さなカルチャーショック。楽しい気持ちが少しでも伝わっていれば幸いです。

帰国後は通勤時間が長くなりますし、記事にしたいようなことが少なくなると思うので、ブログ更新は一旦凍結します。
ですが。
美味しいものを食べたとき。楽しいこと、感動することがあったとき。素敵な場所に行ったとき。
何か心動かされることがあったとき、きっとまた記事をアップしたくなると思うのです。旅行で撮った写真も、アップしていないものがまだまだたくさんあります。そのうち、思い出したようにぽつぽつと更新するようになったらまたどうぞよろしくお願いします。初めて一人旅に出たときにノートに手で書きなぐった旅行記を清書したいと思いつつ、三年が経ちました。時間をみつけてそちらもいつか完成できたらと思っています。

それでは、いつかまたお会いする日まで。
本当にありがとうございました。

追伸
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by monisha | 2010-05-07 04:19 | ドイツ生活

Paris・1930~後編

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パリといえばこれ、第二弾。凱旋門です。

気を取り直して、次に向かったのはパリに着いた直後に田中青年が宿泊していたホテルです。地図によると、ここは下宿から割合近い場所にあるはず。
えーと、この通りをまっすぐ行くとあるはずなんだけど…ん?あれ?通りの向い側の壁にホテル名みたいなものが書かれていない?Saint Lucia…目的のホテルもLなんとかちゃうかったっけ?メモメモ、メモはどこだ。あったあった。えーと、ホテルの名前はSaint Lucia。って、ここやん!google mapが間違えてるの?同じ名前のホテルが複数あるの?あー、わけわからん。もう一回ホテルの住所を落ち着いて確認しよう。55 Boulevard Lapin, Square d’Hiver。Hiverって駅前のデパートの名前やわ。このホテルは広場をはさんでデパートの向い側。ってことはやっぱりここで正しいの??

Hotel Saint Luciaはかなりの大きさ。直線ではなく曲線が多いデザインで優雅な雰囲気が漂っています。このホテル、何年くらい前からあるんだろう。1930年代当時、既に歴史あるホテルだったのか、それとも新築ほやほやだったのか。…気になる。思い切ってホテルの中に入って訊いてみる?
ホテルの正面入口に行ってみると、内装はゴージャスで落ち着いた薄暗さです。こんな立派なホテルに宿泊客じゃないのに入って行ったら顰蹙もの?でも、パリにわざわざ来ることもそうそうないよねえ。…えーい、思い切って入ってしまえ!自分のためと思うと今ひとつ勇気が出ませんが、他人のためという口実があるとなんとか行動できるのが不思議です。

入るとすぐ右手にはコンシェルジュがいます。この方に訊いたらいいんやね、きっと。
「あのー、恐れ入りますがこのホテルってどれくらい古いんですか?」
「100年でございます」
「1930年代にパリに住んでいたある日本人芸術家について調べているんです。このホテルに泊まったみたいなんですが、当時の宿泊費とかって…わかりませんよね」
「わかりかねます」
宿泊客じゃないのがあからさまなせいか、失礼じゃないけどなんだか冷たい感じです。そういえば日本語でいう"慇懃無礼"にあたる英語やフランス語はあるんでしょうか。とりあえず、1930年以前に建てられたホテルだとわかっただけでも収穫です。

さて、次に向かったのは二軒目のホテル。少し離れている場所にありますが、ウィンドーショッピングを楽しみながら歩くことにしました。わたしが宿泊しているホテルのすぐ近くにあるサントノレ通りを歩いたとき思いましたが、パリのウィンドーはとにかくお洒落。ミュンヘン、ハンブルク、ブラッセル、ロンドン。今回の出張中、大きい街にも行きましたがここまでウィンドーのレベルが高いのは見たことがないように思います。普段ウィンドーを撮るとき、ガラスへの映りこみは処理が難しいのであまり入れたくないことが多いのですが、パリでは建物も素敵なので却って雰囲気が出るくらいです。お店が開いていたら買いもしないのにウィンドーに貼りついているのが申し訳ないし、ある意味どこもかしこも閉まっててラッキーだったかも。最近おめでたい…いえ、前向きなわたしです。

しばらくして辿り着いた次なるホテルは、さっきとは打って変わって庶民的な雰囲気です。このホテルも当時とほぼ同じ名前のまま同じ場所に建っています。資金が尽きた?それとも、立地重視?勝手に想像を繰り広げながら写真を撮りました。
以前からうっすら思ってたけど、わたし、"歴史"とか"謎解き"が好きなのかもしれない。あー、文学部じゃなくて法学部でよかった。文学部に行ってたらすっとんきょうな説を大真面目に唱えるトンデモ学者になってたかも。資料を大量に読み込んで考証はするだろうけど、ものすごい論理の飛躍とかを無自覚にしてしまいそうです。

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パリの街角。何気ない建物にも趣を感じます。これと比べるとコンクリートの建物って味気ないですね。日本の場合、古くなると老朽化で耐震にも問題が出てくるんでしょうけれども。

観光も楽しいけど、こういった目的を持った旅もおもしろかったです。歩いていても、ああ田中さんもこの通りを歩いたのかもしれない、この建物は当時既にあったんだろうか、カフェのメニューは今と同じだったのか、など空想が頭を離れません。今まで大の苦手だったパリですが、観光地ではなく誰かが住んでいた場所という目で見ると、急に身近に感じられました。
Google street viewはパリに対応しているので、わざわざ現地に行かずとも日本で街並を見ることが出来ます。知人の研究に今回のリサーチは何の役にも立たない可能性大です。それでも、70年以上の時を経て同じ場所に今立っているかと思うと感慨深かったです。日本人離れしたといわれるあの芸術作品は日本から遠く離れた、パリのこの空気が育んだものかと思うと、なんだか納s得してしまいました。今でこそヨーロッパは近い存在になりましたが、当時の日本人にとっては文字通りの"異国"だったことでしょう。2010年に生き、子どもの頃にベルギーとアメリカに住んでいたわたしですが、それでも刺激の多い半年間のドイツ生活でした。1930年代にパリに住むということは、田中青年にはどれだけのカルチャーショックだったことか。

本の中ではどんな田中さんに出会えるか、まだ執筆中だそうですが今から楽しみです。

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鏡に映ったパリ。
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by monisha | 2010-05-07 04:04 | Paris

Paris・1930~前編

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パリといえばこれ。エッフェル塔です。

5月1日はヨーロッパ全土において祝日です。Labour dayなので日本でいうところの勤労感謝の日でしょうか。旅行直前に知りましたが、今年は土曜にあたるから関係ないと思っていたら大間違い。ほとんどのお店は閉まっていました。日曜は定休日のお店が多いけど土曜は大丈夫だろうと思っていたのに当てが外れてしょんぼり。こんなことだったら先週行っておけば…と一瞬目の前が暗くなりました。
しかし、せっかくの旅行なのにがっかりしていてはもったいない。ショッピングは諦め、代わりに1930年代にパリ留学したある日本人芸術家の足跡を辿ることにしました。知人が執筆中の本のネタバレになるといけないので、名前も住所も全て仮称でお送りします。

知人がこの芸術家の研究者のため、当時の下宿とホテルの住所は聞いていました。
留学当時20代だった田中青年(仮名)。夢と自信、ちょっぴりの不安で胸をふくらませながらこの地に降り立ったことでしょう。当時だと船旅でしょうか。日本でフランス語を勉強していたとしても、現地の方が話す生のフランス語はすぐに理解できなかったかもしれません。現代の留学生でも、外国に着いた当初は心細い気持ちになる方が多いと聞きます。田中青年も、パリという大都会の雰囲気に圧倒されたのか。いえいえ、「自分は世界のタナカになってやる!」野心にあふれていたのかもしれません。

というわけで向かったのはパリ6区。ルーヴル美術館のある1区の南、市内のほぼど真ん中です。プリンターがないため、ノートパソコンのgoogle mapをデジカメで写したといういい加減な地図でも、なんとかたどり着けるのでしょうか。

日本だと、ある程度の広さの地域がすべて同じ町名(たとえば丸の内)で呼ばれ、一丁目、二丁目、三丁目という番号でさらにその区域が分かれています。そのため、●●市○○区▲▲1-2-1という住所を見たところで、▲▲一丁目までは行くことができても、その後どう行けばいいのか方向音痴のわたしにはさっぱりわかりません。方向感覚のいい方は電信柱に書いてある数字を見て大体の方角がわかるそうですが、わたしは初めて行く場所は信号の位置まで書かれてある地図がないと完全に迷子です。携帯にナビウォークが搭載されるようになり、本当に助かっています。
ところが、ヨーロッパとアメリカの場合、全ての通りに名前がついている上、道が交差する度に通り名が表示されてます。そのため、現在地が地図だとどこにあたるのかが確認しやすいです。交差点から次の交差点までを1ブロックと呼びます。
えーと、今歩いているのはSaint Honore通りで、さっき通り過ぎたのがRoyale通り。ってことは、次に出てくるのはChevalier de Saint George通りのはずで、その次のCambon通りを右折したらピエール・エルメがあるはずなのか。
各通りの片側の番地は奇数、もう片側は偶数となっています。数字は1、3、5と少しずつ大きくなっていくので、そろそろなんだけど…と心の準備ができます。
…と書くと、すっごく道がわかりやすそうですね。そもそも何故迷子になるのか、自分が不思議になってきました。

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パリの街角にはこんなに素敵な建物が。しかし、犬の落し物が多いので風景に気をとられていてはいけません。何故こんなにマナーが悪いのか。犬を飼う人の最低限の常識だと思っていたのですが...。20年前のパリも同じでした。

地下鉄を降りて地上に出ると、すぐ目の前には巨大デパートが。今日は閉まっているのがつくづく残念…と思いながらも、歩き出します。Google mapによると、この道をずーっとしばらくまっすぐのはず。…あれ?わたしが行きたいのは86番地。今ここは66番地。ってことは、そんなに遠くないんじゃ?あれれれ?地図を見た感じだと、4-5ブロックは歩くと思ってたのに。…どういうこと?google mapをすっかり信頼していたため、急に不安になってきました。でも立ち止まっていても仕方がないので歩き続けます。思っていたよりデパートは巨大です。日本の百貨店でも本館、新館、メンズ館などと建物がわかれているのと同じような感覚なのでしょうか、三つほど建物を通り過ぎましたがどれも同じデパート名がついています。

ようやくデパートを通り過ぎると、そこは85-87番地という不思議な名前でした。わたしが行きたいのは86番地。ここなの??疑問に感じつつも、改めてその場所を見ると、どう考えても廃墟です。立ち入り禁止の標識に重そうな鉄の扉。塀に生い茂るつた。建物自体もぼろぼろです。割れた窓ガラスに壁から剥げ落ちたペンキ。すっかり色褪せた屋根。ここ2、3年の間に放置されたというレベルではなさそうです。デパートの真横というと、日本では一等地。この地域自体は”超高級”という雰囲気ではありませんが、駅にもデパートにも近いとなると、やっぱりよい立地なのでは。この廃墟の隣は病院跡だったようで、Hopitalと門に刻まれています。しかし、べたべたと貼紙がたくさん貼られ異様な雰囲気。廃病院って…出るっていいますよね。ここもそういう場所なんでしょうか。いやいや、そもそもフランス人って幽霊を信じているんでしょうか。イギリスだと、有名幽霊屋敷があったりしますが。信じてない人の前に出ても思いが伝わらなさそうで、幽霊にとっても出甲斐がなさそうです。

80年経っているんだから、なんの跡形もなくなっていても不思議ではありません。東京だったら20年前、いえ10年前の建物が消え去っていても驚かないことでしょう。でも、地震がないこともあって何十年どころか何百年も前の建物がそのまま残っていることがしばし見られるヨーロッパ。田中青年の痕跡が感じられず、わびしさと時の流れを感じます。

猛き者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

ここはパリなのに思い浮かんだのは平家物語でした。

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うっすらと遠くに見えるのはモンマルトルの丘の上にあるサクレクール寺院。1876年着工と、意外と新しい教会です。
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by monisha | 2010-05-06 07:45 | Paris

ストーカーと日本

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E-620/ 50mm F2.0 Macro
雨をガラス越しに写しただけですが、このレンズだと"絵"になります。


和食が恋しくてたまらないわたしを気の毒に思ってか、自分も食べたかったのか、同僚のWilhlemと会社を出た後に日本食レストランに行きました。久々の和食はやっぱり美味しい。スズキの中華風サラダ(…ってよく考えたら和じゃなくて中華??)のごま油と醤油の香りがたまりませんでした。日本語を話せるというのも気楽で嬉しいところです。

いろいろと他愛もないことを話しているうちに、ふとしたことからネット談義になりました。
「そういえばアメリカでもヨーロッパでもFacebookってかなりの人気ですよね。本名とか顔写真をネットにのせることって抵抗ないんですか?」
「特にないっすね。写真を見られたところでそうそう困ることにもならないですし」
「ふーん。日本だとストーカーとか犯罪に巻きこまれるのが怖いとかで、相当顔写真に関しては神経質な人が多いんですけど」
「そもそもストーカーがそこまで多いのって日本くらいじゃないんですかね」
「ええっ??ストーカーってドイツにいないの???」
「いやあ、いないことはないと思うんですけど日本ほどじゃないと思いますよ」
「だってだって、そもそもstalkって英語じゃないですか?アメリカから輸入された概念だろうし、日本だけ多いとは思ってなかった…」
「後をつけられたとか、こわい目にあったとか、あんまり聞かないですよ」
この後、会話は別の方向へと流れていきましたが考え込んでしまいました。日本だけストーカーが多い理由って一体?

帰りの車でも再びこの話に戻ってしまいました。
「やっぱり理由がよくわからないんですよねえ。インターネットの普及率なんて先進国だとそんなに変わらないじゃないですか。えーと、日本の場合、国土が狭くて他の人が何をしているか目に入りやすいとか?」とわたし。
「ありえますね」
「国民性とか?根暗な人が多いとか」
「…あるかもしれない」
「それが理由だったらイヤだなあ」本当に国民性や民族性、文化的背景とか考え方が理由なんでしょうか。日本特有の現象…は!

「"一途"っていう言葉があるじゃないですか?それに該当する言葉ってドイツ語であります?」
「いちず。うーん、意味はなんとなくわかるけど、ずばりどういうニュアンスなんだろう。英語でいうloyalとかですかね?」
「そうだなあ、わたしの印象だとちょっと違います。 『一途に誰かを思い続ける』っていうと、その思いが叶っても叶わなくてもずっと好きだっていうこと。Loyalっていうと、つきあっている人に対して忠実ってことじゃないですか?」
「うっわ、一途ねえ。英語でもドイツ語でも"too loyal"って言い方はありますけど」
「でも日本語だと一途っていう言葉にネガティブな意味はないです」
「やっぱりそれが国民性の違いじゃないですか?」
「そうかもしれないですねー。日本の場合、一途っていうと批判じゃないので、too loyalに近いのは"重い"かなあ。ふられるときに『あなたの気持ちが重すぎて』っていったらわかりやすい言葉でいうと『うぜーよ』ってことです」
「ははは、"うぜー"ね」


帰宅してから"一途"を和英辞書で引くと、with all one’s heartやobsessiveなど。わたしの感覚ではwith all one’s heartはいちずというより”心の底から”のような気がします。Obsessiveは完全にネガティブな意味。とりつかれた、というのが一番近いように思います。一途の類語としては"ひたむき"もあります。でもこれもいい意味で使われることばかりです。

しかし、ストーカーが多いのは日本だけって本当なんでしょうか。もし本当だとしたら、その理由は?誰かのこと、何かを一心にひたすらに思うという気持ちを尊いものとする文化。それが背景の一部なんでしょうか。
でも、ストーカー行為は犯罪です。好きだったはずの相手に迷惑をかける行為なんて、醜い以外の何者でもありません。一途とストーカー。似ているようですが、全く異なる概念です。
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by monisha | 2010-05-06 07:29 | ドイツ生活

旅行記それぞれ

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どこまでの続く海...ではなくカンボジアで行ったトンレサップ湖です。雨季に行ったため広大な印象がありますが、乾季は水深も大分浅くなるそうです。

今週末はパリに行ってきました。
出発前はあまり乗り気ではなかったというのが正直なところでしたが、いざ行ってみたらすっごく楽しかったです。
パリに行くのは今回が三回目でしたが、なんだか呪われているんじゃなかろうかというくらい今まではトラブル続きでした。初めて行ったとき7歳のときは着いて早々高熱にうなされ、旅行ではない始末に。パリで覚えていることといえば、母の趣味で行ったギュスターブ・モロー美術館の螺旋階段の隣のベンチで虫の息で横たわって天井を見つめていたことくらいです。次に行ったのはそれからX年後の三年前。着いた当日、デジカメが盗まれました。翌日、警察署に盗難届を提出に行こうとホテルを出ようとしたとき、階段でこけて左手を骨折。帰国してから手術を受ける羽目になりました。
今回は何が起こるんだろうと若干怯えていたものの、何事もなく無事帰宅できました。パリの呪縛が解けて嬉しいです。
旅行記は一行も書いていないし、PCのメモリを掃除しないといけないためまだ写真を取り込んでいませんが、またぼちぼちアップしていく予定です。



帰宅してみると、父からメールが届いていました。母からのメールは多いものの、父からは珍しいなと思い開封してみると、添付されていたのは旅行記です。父は先週、アメリカ勤務当時の懐かしい友人や同僚に会うため某都市に旅行していました。このブログのURLは教えていないものの、記事をアップする前にワードにしたためた原稿は時々両親に送っています。わたしがしょっちゅう旅行記を書いているので、それに触発されたのでしょうか。母が仕事で書いた原稿をチェックすることはたまにありますが、父の書いたものを読んだ記憶なんてとんとありません。

さてさてどんな旅行記だろうと、わくわくしながら添付ファイルを開いてみました。
ふむふむ。なるほど。……あれ?……え?……またやん!もう、お父さんおもろすぎるわ!!

父の旅行記はその日行った場所と食べたもの、値段の記録が中心。食事の後には判を押したように完食できたかどうかが書かれています。最初の二日間を読む頃はふむふむ、やっぱりアメリカは食事が多いのうと思っていたものの、毎日毎食残したか残したかが書かれているのでなんだかおかしくなってきました。
旅行記のタイトルは「思い出の○○」というようなものになっているものの、当時を懐かしむような記述はほとんど見られません。客観的に、というか淡々というか、出来事があっさり綴られています。若干筆が熱くなるのは、食事が美味しくなかったとき。タイトルと内容のギャップがおかしく、またそこが非常に父らしくもあるので、読みながら一人でげたげた笑ってしまいました。

読み終わった後、自分自身の書く旅行記を振り返りました。もしわたしが父と同じ旅程を辿ったら、もっと感傷的な内容になることでしょう。101や280といった高速道路の名前を聞くだけで懐かしさがこみあげるのですから、風景を見てよみがえるものがあった嬉しさ、あるいは風景を覚えていなかった寂しさなどをくどくど描写しそうです。

昔家族でよく行ったプライムリブ(=牛のあばら部分のローストビーフを分厚くカットしたもの)専門店に行った父。
「思っていたより更に大きいことに戸惑いつつ、ナイフを入れました。分厚いのに柔らかく、すっと入ります。記憶通りの味か、わかるときです。思い出は美しいまま保たれるのか、がっかりしてしまうのか。一瞬手が止まりましたが、思い切ってぱくり。口中に広がる肉汁。ほどよくのった脂。あー、やっぱり美味しいです。付け合せのクリームコーンの優しい甘さも昔と同じです」
父の撮った写真を見ただけですが、わたしだったらこういう感じに書く気がします。父の場合は、プライムリブとスープ、サラダで合計$45だったことと完食した旨だけあっさり書かれています。

父のスタイルの方がいい、いやわたしの方がいい、と良し悪しを言いたいのではありません。
天候や起床時間、価格を含め、物事を正確に記録したい父。そういった情報はほとんど書かず、会話や自己つっこみを入れながら、物事に対して自分がどう感じたかを書きたいわたし。場所は違えど、旅行記という同じジャンルを書いているはずなのに、関心の方向性によってここまで違うということが興味深かったです。
大学の友人Kちゃんとはこれまでイタリア、チェコ&ドイツ、カンボジア&ベトナムと三度海外旅行に行っています。性格は大分違いますが、興味や関心が似ているので一緒に旅行しても仲良く無事終わるとこれまで思っていました。でも、Kちゃんとわたしの旅行記を比べたら同じ出来事でも違う角度から語られ、片方が書いたことをもう片方が書いていなかったりということがあるに違いありません。

自分の興味や考えた方の鏡となる旅行記。わたしが今まで書いた内容には、どういう自分が反映されているんだろう?
以前からの友だちには"らしい"あるいは"意外"と思われているのか、ブログでしかお会いしたことがない方にはどんな印象なのか、つらつらとそんなことを考えた日曜の晩でした。
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by monisha | 2010-05-03 07:19 | Odds & ends