以前、映画『ファーストポジション』に出演していたダンサーの卵たちが、その後どのような道を歩んでいるのか
調べてまとめたことがあります。わたしに限らず、あの映画を見ると誰もが「あの子、その後どうなったんだろう?」と気になるのか、結構な数の方が検索でその記事に辿り着かれるようです。
多くの方が検索の際に子どもたちの名前を入れています。「○○ その後 ファーストポジション」といった具合に。実際にカウントしたわけではありませんが、感覚的統計ですと揺るぎなき一位がミコ。かーなり差は開いていますが、二位はアラン。三位はジョアン。反対に、レベッカ、ミケーラ、ガヤの名前で検索される方はほとんどいません。ミコちゃんはお母さんが日本人のため親しみを覚えた方が多いのか、映画の中でもインパクトがあったためか、どちらかじゃないかなあと勝手に思っています。
前回記事を書いたのは昨年2013年の1月のことでしたが、一年半後の今、さらにあの子たちはどうなっているのか。映画が公開されたときの
メディア向けプレスキットがウェブ上にupされているのを見つけたのと、ググると新しい情報が更にありましたので、子どもたちのその後をアップデートしました。
Aran Bell (アラン・ベル)
1998年10月7日生まれ。
2002年頃、4歳のときにワシントン州でバレエを始める。
父の東海岸への転勤に伴い、フィラデルフィアのCentral Pennsylvania Youth Balletに転校。
海軍の医師である父のナポリ近郊の基地への転勤に伴い、イタリアへ引越し。2009年にローマでバレエ学校を主宰するデニス・ガニオ(パリのオペラ座のエトワール、マチュー・ガニオの父。ローラン・プティが芸術監督を務めたマルセイユバレエの元プリンシパル)に出会い、師事を受ける。
ロイヤルバレエやアメリカンバレエシアターの夏季講習にも参加。
ユースアメリカグランプリでは2009年にPre-competitive age divisionでHope Award、2010年(映画で取り上げられた回)もPre-competitive age divisionでHope Award、続く2011年にはJunior age divisionでYouth Grand Prixと毎回優秀な成績を残している。
その他にも、ヨーロッパの多くのコンクールで優勝、ヨーロッパやアメリカの多くの都市でガラ公演に出演など、14歳にして既に輝かしい経歴の持ち主。
2013年の10月には、ABTのソリストCraig Salsteinの主宰する新ユニットIntermezzoに参加し、ニューヨークでの舞台に出演していたようです。
ローザンヌに参加できるのが15歳からということを思うと、もし出場するとしたら最短で2014年1月の42回大会かなあと思っています。が、今年の出場者の中にアランの名前はありませんでした。そして、多くのバレエ学校から奨学金込みの入学許可が届いているようなのに、どこかに入学した形跡が今のところ見つかりません。どこのカンパニーを今後目指すんでしょうか?映画の中でバレエについて語っているときは特に、年齢より大人びた印象を残したアラン。健やかな成長を祈っています。
Dance Spirit Magazine "Aran Bell"
New York Times "For Starters, Unmasking Subtleties in Verdi"
http://intermezzodancecompany.org/home-page/
7/14、
naomi様からご指摘を受けて修正しました。
2014年のジャクソン国際バレエコンクールでジュニア部門のファイナリストとなり、ABTのスタジオカンパニー所属になったそうです。
Joan Sebastian Zamora (ジョアン・セバスチャン・ザモーラ)
おそらく1993年生まれ。コロンビアのカリ近郊の山間の村出身。
2008年、2006年にABTを引退したばかりのコロンビア出身のダンサー、ファビオ・フラザールにカリのバレエ学校で出会う。フラザールのおかげで、ニューヨークのABTの夏季集中講座に08年、09年と連続参加。
以降、九ヶ月間フィラデルフィアのThe Rock School for Dance Educationで学ぶ。
2010年のYAGPでSenior age divisionの男性部門でSilver Medalを受賞し、憧れのカルロス・アコスタが所属するロイヤルバレエへの留学を9月から果たす。
2013年にアッパースクールを卒業、8月からはイングリッシュ・ナショナル・バレエへの入団が決定。
ロイヤルではなくイングリッシュナショナルというのは本人にとっては不本意な部分がひょっとしたらあるのかもしれませんが、無事プロとしてバレエ団への所属が決まりました!これで家族への仕送りもできますね。(ダンサーのお給料はあまり高くないだろうけれども、イギリスとコロンビアの物価の差を考えると、きっとできますよね?)ちなみに、RBSでは2010年のローザンヌのファイナリストで、現在はロイヤルバレエのアーティストとなったアクリ瑠嘉くんと同級生だったようです。
ナショナルバレエ入団後も活躍は続いています。今年2014年の5月には、同バレエ団で特に優秀な若手ダンサーによる「Emerging Dancer 2014」コンクールに参加。動画がYoutubeにupされています。残念ながら賞はとれませんでしたが。
今後もますますのご活躍をお祈りしています。
http://www.ballet.org.uk/the-company/dancers/joan-sebastian-zamora/
http://www.ballet.org.uk/whats-on/emergingdancer/
Michaela DePrince (ミケーラ・デ・プリンス)
1995年生まれ。紛争で荒れたシエラレオネの孤児院にいたものの、アメリカに養子に来てそこでバレリーナになろうとしている、という経歴がアメリカンドリーム心をくすぐるのか、米国ではその後のミケーラに関する報道が多いようです。
1998年、3歳の時に両親とも亡くし孤児院へ。お父さんは反乱軍の兵士に殺され、お母さんはラッサ熱で病死(お母さんは餓死との記事もあり)。白斑のために孤児院では辛い目にあったものの、1999年に現在の両親であるチャールズ&イレーン・デプリンス家の養女に。デプリンス家は実子2人、養子9人の大家族。
ファーストポジションが公開された後、アメリカで人気のリアリティーショーDancing With the Starsに2012年に4月に出演したことからも人気が出て、道を歩いていると見知らぬ人から声をかけられるほどに。
映画ではニュージャージーに住んでいたものの、現在はニューヨークのアパートに両親と姉妹四人と同居。2012年8月よりダンスシアターオブハーレムの団員として活躍。2013年7月からはアムステルダムに本拠地を置く、オランダ国立バレエのジュニア部門に籍を移す。
11人も子どもがいるだなんて、デプリンス夫妻もすごいなあと思ったら、大変ドラマチックな人生を歩まれていました。実子(英語だと生物学的子、biological childrenといいますが)は息子2人ですが、その後外国から血友病で苦しむ男の子3人を養子に。病気とはいうものの、血液凝固製剤を持ち歩いてアメリカやカナダのあちこちでキャンプをするアクティブな一家でした。が、悲劇が訪れたのは90年代初頭のこと。非加熱製剤によるHIV感染です。93年に末っ子カビーが亡くなると、その九か月後には15歳のマイケルが。そして、テディーも。でも、その後も恵まれない環境にある子どもたちを救いたいという思いが薄れることはなく、ついには11人の両親となったのでした。HIV感染を描いたCry Bloody Murderを発表してからエレーンさんはノンフィクション作家として活動するようになり、現在はミケーラと二人で2014年秋にランダムハウスから発売予定の回想録を準備中です。
ミケーラに関しては記事が非常に多くあり、アメリカでは関心が高いようです。
公式ホームページもあります。
From Sierra Leone to Dance Theater of Harlem: Michaela DePrince Shines As Ballerina
Teen Michaela DePrince goes from war orphan to star ballerina
Limitless Love: A Mother of Eleven Tells Her Extraordinary Tale
Michaela DePrince – Junior Company, Dutch National Ballet
Rebecca Houseknecht (レベッカ・ハウスネット)
プロのバレエダンサーの道を断念したため、現在ではほとんど報道はありません。今年からTowson Universityの四回生。
Twitterのアカウントをもっていますが、彼のことや最近食べた美味しいもの、家族や友達へのバースデーおめでとうツイートなど、ごくごく普通の大学生として楽しい生活を送っているようです。
Gaya Bommer Yemini (ガヤ・ボマー・イェミニ)
前回、何故かガヤのことを書いていませんでした。
映画が公開された時点ではイスラエル在住。お母さんのNadine Bommerさんはモダンダンスの振付家で、ご自身がダンススクールを主宰しています。お父さんのZib Yeminiさんは、十年以上イスラエル軍のエリート部隊に所属していましたが今は退役し、妻のスクールの事務面をサポートしています。...エリート軍人からダンス学校の事務ってすごい人生ですねえ。ドラマだ。
2011年のYAGP(映画にとりあげられたのは2010年)で、お母さん振り付けによるCartoon Girlでモダンダンスカテゴリーで優勝。そのときに得た奨学金で、モナコのプリンセスグレース・クラシックダンス・アカデミーに留学中。上野水香さんも留学された学校ですね。
これ以上の情報はみつからず...コンクールに参加していればググったら引っかかりそうなものなので、今はモナコでの学校生活に専念しているのかもしれません。
http://www.nadine-animato.co.il/academy/24.htm
ミコちゃんは日本語でも英語でも記事があふれかえっていますので、情報が多すぎてまとめるのが大変...。また時間ができたら。